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前回の投稿の返答に関するご意見ですね。
少々語弊がありますので、訂正いたします。
まず、解釈が間違っています。
兄さんが兄である事は切っても切り離せません。
これは兄さんにとって私が「妹に生まれて共に育った皆神さくや」である事実を切り離せないのと同じだと思います。
ピンとこない方はご両親に置き換えて頂くと分かると思います。
両親が自分自身と血縁関係を離れて一人の人間だったとしたら、その場合子供たちである自分は生まれていません。
この場合は「親」であることが前提で、家族に対する愛情は「親」だから抱くのでしょうか。それとも物心つく前から「一人の人間」として観察しているのでしょうか。
成長した後に分ける事はできますが、自我が芽生える前にこれを分けて考える事は不可能だと思います。
生まれた時から当たり前にいる存在に対して、疑問を抱きながら成長する子供はいません。
兄と血縁を切り離した時点で、先に生まれている兄さんは皆神孝介として生まれるでしょうけど、後から生まれる私は存在がなくなってしまいます。
これはつまり人間同士の接点がなくなるという事です。
出会う接点が一つもない人間は、赤の他人でしかありません。
私が父さんや兄さんを好ましく思うのは、皆神家に生まれて接点ができ、共に暮らしてきた前提があります。
その事実を無視して、人間的な魅力というものを語ってしまっても、そこで出てくるのは「現在の関係を踏まえた上でのIF」でしかないと私は考えます。
共に暮らしてきて、お互い多くの姿を見てきました。
そこには家族以外には見せない姿も多く含まれています。
その上で、私は兄さんの「人間的な魅力」を多く知っていると思っています。
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