神社で過ごす、ある出来事



 日差しが日に日に短くなっていく。
 それを実感したのがいつだったのか、今はもう分からない。
 あるいは今この時から短くなったのかもしれないわねと、春日いろはは思った。
 神社は山へと続く長い石段を登った先にある。
 御奈神村全体がなだらかな山の麓にあるため、少し登っただけでも標高は高く、遠くまで見渡せる。
 それでも山に囲まれた御奈神村では、遠くに目をやっても山影があって行き止まり。
 山から伸びる影がまっすぐ長くなり、徐々に村を覆い尽くして、最後には夜の闇と混ざり合って消えてしまう。
 その光景は物ごころついた時から見ていた物だったけれど、何度見ても飽きる事はなかった。
「良い眺めですね」
「なーんか見ちゃうのよね。生まれた時から見てるはずなのに」
「とても綺麗だと思います。季節によって影の長さが違うんですね」
 山から伸びる影は太陽の角度によって、その長さを変えていく。
 季節が冬に近づくほど、御奈神村の黄昏は長くなってゆく。
 そして移り変わる季節毎の色彩と入り混じり、御奈神村を染め上げていく。
 里の中からは決して見る事の出来ない風景を見られるのは、神社で暮らす者の役得だ。神社を訪れた人がこの景色に目を奪われるのを見ると、嬉しくなる。
「あー、こんな所で何やってんのよー!」
 唐突に後ろから声がした。
 二人が振り返った先には、明るめの髪を二つに結んだ巫女姿の女の子が、いろは達を指差している。
「ごめんごめん。沙智子ちゃん達はもう終わった?」
「とっくに終わったわよ。全然こないから探していたんじゃないの」
「いろはちゃーん。朱音ちゃーん」
 沙智子に遅れて、亜麻色の髪の少女がやってくる。
 翔子は三人の元に小走りで駆けてきた。こちらも沙智子と同様に巫女服姿だった。
「ごめんごめん。そっちはどう?」
「もう終わったよ、これからどうするの?」
「そうだね……」
 翔子の言葉にいろはは境内を見渡した。
 春日神社の境内は広く、普段は子供たちの遊び場になっている。しかし、特別な行事がある時は、その広いだけの境内が一変する。
 今もその時期にあたり、秋祭りを控えた現在、境内には縁日の露店の骨組みが組まれていた。
 先ほどまでいろはと朱音はその打ち合わせをしており、社務所や電話番を手伝いに来た沙智子と翔子が担っていた。
「二人はもう終わりでいいよ。明日も早いから、しっかり休んでね」
「はぁい」
「そーゆーことなら」
 素直な返事と共に、二人は神社の石段とは反対側……いろはの家に向かった。
「あー……その。本当に泊まるの?」
「この前からそーいってるでしょ」
「いろはちゃんの家にお泊りした事ないから、楽しみ」
「まあ、いいんだけど」
 何とも言い難い顔でいろはは首筋をかいた。
 秋祭りの話を二人にしたのは、偶然だった。
 ただ一週間程まえに二人が遊びに来た時に、石段の下にとまっているトラックの事を聞いて、秋祭りの準備の話をし、そして今回は夏の事件の影響で手伝いのバイトも集める事が出来なくて人手不足……そんな話をした時には、いろはは単なる雑談のつもりだった。
 しかし二人にとってはそうではなく、翔子は母親の皐月と遠方に仕事に出ている父に迅速な承諾を取り――沙智子は祖母が昔春日神社で働いていた縁から、いろはの祖母経由で手伝いを承諾させ――どう見ても、沙智子が慕っている祖母の後追いをしたがっているようだったのだが、実際に人手はいるに越した事はないため、アルバイトではなくあくまで臨時にご近所さんがお手伝いに来たという体裁で二人に手を貸して貰う事になっていた。
「ですが、なんだか学生時代の合宿みたいで楽しいです」
「まぁ、確かにね」
 これまでも臨時のアルバイトの子が泊まり込みをする事はあったが、それはあくまで仕事の範疇だ。
 しかし今回は元から知った仲であるため、その境界がとても薄くなっている。
 いろは自身は雇い主として仕事と境界を引かねばならないと想いはするのだが、元々親交の深い間柄に加えて、あくまで手伝いとして来て貰っている二人に強く言う気も起らない。
 何より翔子も沙智子も、下手なアルバイトよりも良く働いていた。
 翔子は真面目だし幼い頃から神社に出入りしていたから、いろはの仕事を見よう見まねとはいえ知っている。
 沙智子も似たようなものだが、普段から自宅のタカミ商店を手伝っているため、販売のやり取りも的確だ。
 普段は素通りする村の人も、沙智子が社務所に居る事で足を止めていったりもする。
 いろはと朱音がのんびり景色を見る余裕があるのも、二人の働きが大きかった。
「そういえばさ、一つ思い出した事があるんだけれどいい?」
「はい? なんでしょうか」
 家に戻りながら、隣の朱音に言う。
「お夕飯どうしようか」
「あ……」
 翔子達が泊まっていくと思わなかったから、最低限の物しか考えていなかった。
 これから買い物に行くにしても少し遅い。
 二人は母屋に行きながら、夕食の論議をするのだった。


「あー、美味しかったぁ」
 夕食のカレーを食べ終え、沙智子が大きく伸びをする。
 既に巫女服も脱いで、それぞれ私服に着替えている。
「お粗末さまでした。神社でカレーっていうのも変な感じかもしれないけれどね」
「そうなの?」
 翔子が首をかしげる。この感覚はもう少し年を取らないと分からないかもしれない。
「お茶を入れてきますね」
「ありがとー」
 食器を手に、朱音が台所に向かう。
 慣れた様子で何度も泊まっているのだろうと翔子は思った。
「朱音ちゃんもここに住んでるみたい」
「あはは……朱音さんには家の方にも何度も来て貰ってるしね」
「それも神社の仕事?」
「そういう訳じゃないけれど……でもそうかも。朝早い事が多いから、泊まり込みして貰った方が便利な時も多いのよ」
「へー」
 沙智子は朱音が向かった方をじっと見ていた。
「どうかしたの?」
「べつに。ただ神社で働くのってどういう感じなのかなって思っただけ」
「なに、沙智子ちゃん興味あるの? うちに就職する?」
「しないわよっ。うちはお店あるもんっ。でも、おばあちゃんが昔ここで働いてたって聞いてたから、それでどんなのかなって思っただけ」
「うちのおばあちゃんと一緒に働いてたんだよね……まあ、うちは自宅だから当然だけど。でもそう考えるとなんか不思議だねー」
 いろはにとって、祖母は祖母だ。
 生まれた時から既に老齢で厳しい存在だった。
 若い頃は自分と同じく巫女をしていた……と聞いている。だが、その姿を鮮明に思い描く事は出来ない。
 そしてそれは、沙智子にとっても同じだろう。
 店番をしているのが常の祖母が、若い頃は神社で働いていたと聞いても実感出来ないのかもしれない。
「ねえねえ。いろはにとって神楽を舞うってどういう事?」
「なによ、急にどうしたの?」
「だって気になるもん」
「沙智子ちゃんのおばあちゃんの事だから?」
「うん」
 そうねぇといろはは少し考える。
 改めて聞かれると困る質問かもしれない。何より、これまで考えた事は無かった。
 春日神社の神楽は神を降ろし、神となって舞う。
 神に奉納する儀式ではなく、自らが一つとなって天女として村人の前に降臨するのだ。
 そのため決まった振りはなく、常に新しい舞を披露する事になる。
 神として奉られてる天女だが、夏祭りの終焉と共に天に戻る。翌年舞い降りるのは違う天女なのだから、同一の舞ではない……というのが神社の習わしだ。
 いろはにとって、神楽とは常に試行錯誤の繰り返しであり、それその物に対しては深く考える暇などなかった。
「改めて聞かれると困っちゃうわね。ただ……私もお母さんがやってて、それを子供の頃に見て綺麗だなーって思ったから、今も続けてるのかもしれない」
「そんなにすごかったの?」
「すごいかどうかはちょっと分からないかな。イメージは残ってるんだけど、実際の振りつけはもう覚えてないもの。でも、だからこそ印象に残ってるのかな……?」
 技術ではなく、その時に見たイメージに追いつきたいと今でも思っている。
 神楽の振りつけは毎回新たに作るとはいえ、天女の舞を美しく、それらしく見せるための技術は存在している。
 もしかしたら技術を洗練させ、次の世代に受け継ぐために磨いているのかもしれないと、いろはは漠然と思った。
「うう〜〜ん。改めて考えるとさっぱり分からないわ。あたしと神楽って何なのかしらね。それで食べてる訳だから、ただの仕事とも言えるけど、それだけとも言いきれない物だし……」
「い、いろはちゃん。大丈夫?」
「うう……滅多に使わない頭使ったから、オーバーヒートしたわ……」
「いろはさんの神楽はとても綺麗だと思いますよ。だから、あんなに大勢の方が観に来られるのではないでしょうか」
 お盆に人数分の湯飲みを乗せて、朱音が戻ってくる。
「そうなのかなぁ。そうだと嬉しいけど」
「ふーん……」
 問いかけた沙智子は、よく分からないと言った風で、消化不良を起こしているようだった。
「やっぱ沙智子ちゃんの答えになってなかったかな」
「そうじゃないんだけど……いろはとおばあちゃん、おんなじような事言ってるから」
「そうなの?」
「あたし、ここに来る前におばあちゃんに聞いたの。いろはみたいな事やったんでしょ? どうだった? って。そしたら今のいろはみたいに困ってた」
 それから少しだけ困惑するような、口をとがらせるように言った。
「……でも忘れられないって。いろはのおばあちゃんの舞が綺麗だったって言ってた」
「あれ、でも沙智子ちゃんのおばあちゃんがいろはちゃんと同じように神楽やってたのに、いろはちゃんのおばあちゃんも踊ってたの?」
 翔子は首をかしげている。
 同時期に舞い手が二人も居たという事に困惑してるのだろう。
 今の御奈神村にとって、神楽とは春日いろはのみが行う出来事であり、もし他の人間が舞う事になったら少なからず騒ぎになるのが目に見えている。
 あまり行事に詳しくない翔子ですらそう思うのだから、御奈神村の共通認識としては間違っていない。
「それはその時々によるからね。というか、うちも別にあたし専売って訳じゃないんだよ。朱音さんがやるっていうなら、お願いしても構わない訳だし」
「私には無理ですよ。いろはさんじゃないと……」
 珍しく、朱音はやや焦った様子で腰を浮かせている。
 朱音自身もいろは以外出来ないと思っている。
「そうでもないと思うんだけど……まあ、しばらくは仕方ないのかなぁ……でも絶対に舞える人が複数いた方がいいんだよね。あたしも急に体調崩すかもしれないんだし」
「それは、そうですけれど」
「あ、そっか。そういう事もあるんだ」
「前に神社にもっと人が居た頃。それこそおばあちゃん達の世代には、何人かで交代してたみたい。一人でやると毎年新しいの考えないとだから負担も大きいし……あ、別にあたしの負担があるから、朱音さんにやれって言ってる訳じゃないからね? もちろん朱音さんがやるなら皆喜ぶと思うけど。で、沙智子ちゃんのおばあさんのは、そういう時代の話ってだけ」
「そうなんだ」
「将来的には翔子ちゃんが神楽舞やってるかもしれないしね」
「ええ〜〜。無理だよぉ」
「あたしも昔はそう思ってたもんよ」
 いろはは腕組みして、繰り返し頷いている。
「……いろはは、それでもいいの?」
 祖母の話をしてからは、聞くのに徹していた沙智子が不意にそう言った。
「それでいいって、何が?」
「だって、みんないろはがやると思ってるもの。いろはは、自分がやらないのは、悔しくないの? 自分の物なのに」
「ああ、そういう事……」
 思ってもみなかったと、いろはは再び考え込む。
「それも難しいなぁ。あたしって、神楽やるだけに神社に居る訳じゃないから、多分それも大きな理由なんだと思う」
「どういうこと?」
「ほら、沙智子ちゃんだってお店番のためだけにタカミ商店に居る訳じゃないでしょ?」
「そりゃそうよ。だってあたしんちだもん」
「それと同じ。うちが神社だから、あたしは子供の頃からここの事を良く知っている……だから神楽もやるし、神社の仕事もやる。夏祭りは大きなイベントだから、観にくる人にとっては、あたしと神楽のイメージは繋がってるのかもしれないけれど、あたしにとっては一年を通じて夏にあるお仕事って意味が強いから。……だって、夏が終わったら今の秋のお祭りの手配をして、これが終わったらお正月。その次は春ってずっと続いていくもの。だから、神楽をやらなかったとしても、きっと何も変わらないんだと思えるんだと思う」
「…………そうなんだ」
「確かに、お祭りの準備は大変ですけれど、それで日々の仕事が無くなる訳じゃありませんしね」
「そういうこと。ゴミ袋持って石段昇り降りするのも大変だしね」
「はい」
「じゃ、そういう事で、次は朱音さんやってみる?」
「え、ええ……っ!?」
「じょーだんよ。……今はね。ちゃんと準備してみっちり鍛えてあげるから」
「い、いろはさぁんっ」
 悲鳴を上げる朱音を翔子はお茶を飲みながら、観ていた。
「わたしやろうかなぁ」
「え、翔子あんたが? いろはの次に?」
「なんか、今のいろはちゃんとっても楽しそうだったから。朱音ちゃんやらないなら、わたしやろうかなぁって」
「おー、ついに春日神社に後継者誕生!」
「そこまでは、まだ……」
 及び腰になる翔子に笑いがこぼれる。
 いろはは改めて沙智子を向いた。
「そんな感じなんだけど、分かった?」
「ぜんぜん分かんない」
「やっぱりかぁ」
 バッサリと切り返す口調に、いろはの肩が落ちる。
「でも……おばあちゃんが、楽しそうに言ってた理由はちょっとだけ分かった」
 きっとそれは憧れに似た感情だ。
 神楽舞をするいろはは、人の手の届かない神様のように見える。
 今ここで話している彼女と、舞う時のいろはの間には大きな隔絶を感じる。
 観る者はそれを実感するから、神楽舞はいろはだけの物として思ってしまうのだ。
 それはきっと、舞っている本人には分からない想い。
 だからこそ、沙智子の祖母も自分自身ではなくいろはの祖母を語るしかなかった。
 はっきりした想いにはならなかったが、沙智子はそう考えた。でも、だとしたら……。
「な、なぁに?」
 視線を向けられた翔子が、ややびくつきながら聞き返した。
「何でもない」
 翔子が本当に神社で神楽をするのなら、やがてそう観られる事になるのだろうか。
 今の翔子ではない、もう少し成長した姿。
 きっと翔子の母親である皐月に似ているだろう。
 長い亜麻色の髪が、神社の舞台の上で翻る。神楽の衣装と共に舞い踊り、かがり火に照らされて舞台の上に浮かび上がる。
 それは、さぞかし神秘的な光景になりそうだ。
「案外向いてるかもね」
「そ、そうかな」
「あたしもそう思う。翔子ちゃんには天女に通じる何かを感じるもの」
「ええ〜〜っ」
「そうなると、人手も増えて普段のお仕事も助かりますね」
「それまでは朱音さんにも神楽の勉強して貰うからね」
「う……はい。頑張ります……」
 諦めたように肩を落とす朱音に再び笑いがこぼれる。
 季節は秋。
 今からなら、次の夏には間に合わない。
 だけど、その次なら……?
「楽しみね」
 変化に乏しい神社の生活も、そこで暮らせば日々違った出来事が舞い降りる。
 自分だけの狭い世界ではなく、もっと大勢の人が参加出来るような、そんなお祭りだったら今よりも素晴らしい物になるだろう。
 いろはは、その時が訪れるのが楽しみだった。


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